空き缶アート今昔物語(文教月報8・9月分寄稿)

2020年9月7日 16時09分

 「先生、空き缶持ってきたけん。」

 入学式後、来賓から空き缶アートの材料としてごみ袋大サイズ2袋分をいただいた。その後も量販店や酒店、漁協から「空き缶が溜まったから取りにおいで。」と連絡が入った。車のトランクがパンパンになった。空き缶アートが地域に根付いていることを実感した。

 近見山の麓にある本校。校舎ベランダには本校伝統の空き缶アートと「愛される近見中学校」のスローガンが飾られている。

 きっかけは、平成5年の近見山清掃で目の当たりにしたポイ捨てによる凄まじい量の空き缶。当時は「環境保全」「自然保護啓発」など環境教育がブームの頃であった。「集めたものをごみとして処分するだけでなく、活用して環境保全を広く訴えたり、資源のリサイクルについて研究したりすることはできないか?」という教師の発案から空き缶アートは始まった。

 平成6年度、全校生徒432人。初の空き缶アートが完成した。タイトルは「来島海峡」。以降、校区の豊かな自然を題材にした風景を9000個の空き缶で表現し続けた。

 平成17年度、全校生徒270人。空き缶アートは各学年で一作品の制作になった。生徒数の減少、授業時数の確保、学校行事の精選など理由は様々であった。しかし、各学年3000個ずつ、合計で使用する空き缶の量は変えなかった。

 平成29年度、全校生徒161人。空き缶アートは各学級で一作品制作、デザインも学級旗に変わった。近見山清掃もやめた。しかし、各学級1500個ずつ、やはり合計で使用する空き缶の量は変えなかった。

 生徒数は、空き缶アートを始めたころの3分の1近くまで減少した。空き缶の量を減らすとデザインが見えない。存続の危機。楽しみにしてくれる卒業生やその保護者、地域の人々が協力してくれた。

 使用済みの空き缶は、リサイクル業者で換金し、購入した車椅子を地域の福祉団体に寄贈している。空き缶アートの意義も「学級の絆」「社会への貢献」「地域への感謝」などに変わった。

 手を変え、姿を変え、思いを変えながら、今年も1学期末に空き缶アートは完成した。(HPで見てください。)